「風邪……ひきますよ」


鈴のような少女の声が、雨音の中で響いた。

































「……


雨に打たれる少年が一人。
彼は空を見上げていたが、聞き覚えのある声に振り向いた。
そこには青い傘をさす少女が一人。


「ポッター先輩が探してましたよ、ブラック先輩」


少女は一歩一歩、ゆっくりと黒髪の少年―シリウス・ブラック―に近づく。
シリウスはそれを、無表情で見ていた。
対して少女――もまた、無表情で彼を見ていた。
だが、互いの視線が交わる事は無い。
はシリウスの漆黒の髪を、シリウスはの銀色の髪を。
互いの髪を見ているのだから。

――視線が交わらぬように。

不意に、シリウスが笑みを零す。
哀しく、自嘲的な笑み。


「……そうか」


そこで、の歩みが止まる。
彼女はそんな表情の彼を無表情で見つつも、どんな言葉をかければ良いものかと内心焦っていた。
結局良い言葉が見つけられず、ただ「……ええ」としか言えなかった。
この状態にもどかしさを感じ、は静かに拳を握った。
シリウスはといえば、の微妙な変化に薄々気付いてはいた。
しかし他人を気遣う程の余裕が無い彼は、ただ黙って地面を見る事しかできない。
雨が地を叩きつける。
沈黙と雨だけが彼等を包む。
雨は時間が経つごとに激しさを増した。
は沈黙に耐え切れず、取り敢えず彼がこれ以上濡れないようにと自分が持つ傘を彼に差し掛けた。
しかしシリウスは、それをやんわりと拒否する。
内心驚きつつも、は無表情なまま、拒否する彼を見つめた。


「……風邪……ひきますよ……?」


その言葉しか、今は思い付かない。
拒否されたのが思いの外ショックだったようだ。
傘の柄を握るの手が、小刻みに震える。
それは寒さ故か、それとも動揺故か。彼女の場合は後者であろう。
ややあって、の言葉にシリウスはつぐんでいた口を開いた。


「バーカ。このままじゃお前まで風邪ひくだろ。早く寮に帰れ」


さも当たり前かの様に言い放つシリウスに嬉しさを感じながらも、は溜息を吐いた。
私は貴方さえ風邪をひかなければ良いのに、と。


「……でも、帰りません。……ブラック先輩が一緒に帰ってくれるまで」


その言葉にシリウスは、勢い良く顔を上げる。
視線が、交わる。


「だから、私も付き合ってあげます。貴方の気が済むまで」


無表情だった彼女が、ぎこちなく微笑む。
だけど、それはとても美しい微笑みで。


「 ああ 」




つられてシリウスも微笑んだ。






















雨に濡れれば、この渇いた心を潤してくれると思った。
嫌な感情を流してくれると思った。

だけど

濡れれば濡れる程、虚しい気持ちが膨らんで。






苦しくて



――助けて、と



冷たくて



――誰か、と






そんな時に、君は来た。
俺が苦しんでいる時、君はいつも手を差し伸べてくれた。
優しくて、暖かで。
俺より小さな手。
その小さな手が、堪らなく愛しく感じて。
嗚呼、俺は…………



いつも君に救われる。


表情を作る事が苦手な君。
感情を表に出すのが苦手な君。
だけど、
君は気付いているかな?
君が頑張って作るぎこちない笑みは、俺の心を満たしてくれるという事を。
この渇いた心を潤してくれるという事を。













「おい、
「はい?」

呼ばれて、は首を傾げる。
先程から沈黙していたシリウスが、に話しかけて来たのだから無理もない。

「そろそろ帰るか」

雨を見つめていた彼が、視線をへと向けた。
ずっと彼を見ていたは、思わず目が合ってしまった事に少なからず羞恥心を覚えた。
目を逸らしたい衝動に駆られるが、彼の微笑みがそれを許さない。
太陽のような、強く、眩しい微笑み。
どこか吹っ切れた様子のシリウスは、とても清々しい微笑みを浮かべていた。
未だ雨は降っているというのに、彼の周りだけは晴れているような。
そんな錯覚を覚える。
思わず、自分の気持ちを伝えてしまいそうになる。
しかしは、それを我慢した。
『今、目の前に居る彼に“好き”だと伝えれば、今の私達の関係が壊れてしまう』
と、自分自身に言い聞かせて。
は胸に燻るこの感情を忘れるように、彼の言葉に頷いた。



雨は未だ止む気配がない。
空を見上げても、雲が低く垂れ込めていて暗い。
だが、それも良いと思う。

「ブラック先輩、勿論私の傘に入ってくれますよね?」

無表情のまま、は言う。
ただ、心成しかいつもより目元が柔らかい。

「可愛い後輩の頼みなら仕様がねぇな」

戯ける様に、シリウスは言う。
ただ、心成しかいつもより表情が柔らかい。

両者ともまるで、愛しい者を見ているかの表情だ。
ただ、鈍い二人はその事に気付かない。
否、気付いていない振りをしているだけなのかもしれない。
だけど、今はこの状況に満足しているのだ。
蒼い傘が、くるりと揺れた。































一つの傘に、肩を並べて入りましょう。『相合い傘』、なんて小恥ずかしい響き。





(あ、ブラック先輩。肩が濡れてますよ?)