「嗚呼、リドル」







いつもの彼女の声のはずが、その時は別人に聞こえた。






























「……どうかしたの、?」

俯く彼女に、僕は問う。
俯いている所為で、彼女の表情はよく判らない。
泣いているのか、笑っているのか。
後者で無い事は確実だ。
だが、かと言って彼女が泣いているとは思えない。



僕はもう一度、彼女の名を呼んだ。
彼女はそれでも黙ったまま。
嗚呼、なんで僕を見てくれない?
僕が何かした?
だけど、
怒っていたのなら何故、僕を呼んだのだろう。
君はいつだって、僕の心を掻き乱す。
お願いだから、反応してくれよ。

そう思った次の瞬間、彼女は顔を上げた。
いつもと何等変わり無い、無表情の彼女が居た。
だがその無表情の中に、微かだが焦燥が感じられた。

「嗚呼、どうしよう。
とんでもない事になったわ、リドル」

いつもの凛とした声とは違い、震えている声。
彼女にしては珍しく、酷く動揺している様だ。
何が“あの”彼女をここまで動揺させたのか。
取り敢えず、何がとんでもない事になったのかを聞いてみる。

「何をそんなに動揺しているんだい、?」

僕が問うと、彼女は大きく目を見開いた。

「何故そんなに余裕で居られるのよ。信じられないわ」

言っている事は大袈裟だが、言い方は至って平淡だ。
淡々と、彼女特有の口調だった。

「だからね……
何がそこまで君を動揺させているのかを聞いたんだ、僕は」

「はぁ、本当に何も聞いていないのね。
学年主席が聞いて呆れるわ」

いつもの彼女だ。
いつもの癇に障る彼女だ。
なんだ、先程の震えていた声は聞き間違いか?

「今朝、校長が仰ってたじゃない。
明日は……一日パーティだって」

あ、また彼女の声が震えた。
やはり聞き間違いではない様だ。
……しかし。
なんだ、彼女はそんなクダラナイ事で動揺しているのか。
馬鹿馬鹿しい。

「毎年恒例だろ、クリスマスパーティーは。
何だい?ダンスのパートナーが居ないとか?」

「そんなクダラナイ事じゃないわ」

いや、パーティ如きで動揺するのもクダラナイと思うんだけど。

「嗚呼、凄く面倒臭いわ。
なんでパーティー如きで時間と労力を使わなくてはならないの?
嗚呼、クリスティーナ含む女子全員の気持ちが皆目判らないわ。
判りたくもないわ。
ダンスのパートナーが居ないとか、嬉しすぎる言葉だわ。
だけど現実は残酷なもの。
私にダンスのパートナーを申し込んでくる不届き者が後を絶たないのよ。
嗚呼、なんて可哀想な私」

……うん。
彼女にしては、長舌だった。
否、他と比べても長舌であろう。
成る程。
そこまでパーティが嫌いなのか、彼女は。
それに加え嫌いな理由が“面倒臭い”。
あははっ……
世の中の男共が嘆き悲しむね。
其も其も、クリスティーナって誰?

あ、思い出した。
確かの(自称)親友だとか。
嗚呼、頭の軽そうな女だったよ。

まぁ、取り敢えず彼女の最後の一言は無視という方向で。

「なんでパーティをそんなにも嫌うんだい?」

「だから、面倒臭いのよ。
複雑なドレス着て、メイクに時間かけて。
本当に無駄だわ。

 それに……」

彼女が俯く。

「それに?」


他にも理由があるのか。
まともな理由だと良いけど。
まぁ、期待は軽く持つ程度にするよ。

「それに、ね。





貴方が他の女の子と踊るのを見たくないのよ」

「え?」

余りにも小さい声だったので聞き逃してしまった。
だけど、最後の方だけは聞こえた。
その為、彼女の声がまた震えている事に気付いてしまった。

「ごめん、もう一回言ってくれるかい?」

そう頼めば、彼女は赤面した顔を上げ、僕を睨んだ。
嗚呼、目尻に水滴があるのは気の所為だろうか。




「貴方が他の女の子と踊るのを見たくないって言ったのよ、馬鹿っ!!」




……驚いた。
彼女と知り合って大分経つが、
彼女が怒鳴ったところなど見たことが無かったから。
こんな感情的な彼女、初めて見た。
肩で息をする彼女を見て、改めて僕は気付いた。


彼女は、







泣いている。


「……なんで、泣いているんだい?」

嗚呼、何故こんなにも胸が締め付けられる?

「……貴方が好きだから、って言ったら軽蔑する?」

目尻に涙を溜め、自嘲するかの様に彼女は嗤った。
軽蔑?
とんでもない。
寧ろこの気持ちは、それとは逆だ。
だけど、僕はこの気持ちの名を知らない。
否、知る勇気が無いだけかもしれない。
だけど、


「軽蔑なんて、するわけが無い。
寧ろ僕は、君に“好き”だと言われて嬉しいと感じているんだ。
ねぇ、何故だろう?」


知る勇気が無くても、知らなきゃいけないと思ったんだ。
だから、僕は彼女に聞いた。
この“名も知らぬ感情”の根源である彼女に。

問うと、彼女は驚いた様に目を見開いた。
信じられない、と言わんばかりだ。
だけど直ぐに彼女は無表情に戻り(少し顔は赤いが)、ぎこちなく口を開いた。

「それは……私の事を好き、という事かしら……?」

「さぁ?僕には判らないよ。
 だけど、君とずっと一緒に居たいと思ったのは確かカナ」







震える君の声が、堪らなく愛しいと感じたんだ。





(多分この気持ちは“愛情”。)