あいしています

あいしています

きみを、

だれよりも。

こころのそこから。

だから、どうか。



僕 を 愛 し て く だ さ い


















その日、太陽は姿を隠し、空は厚い灰色の雲に覆われていた。
眩しいほどの青は形を潜め、今はただ鈍色の雲だけが地上を見下ろしている。

(……一雨、降りそうですね)

端整な顔立ちの青年は、空を仰いでぽつりと思った。
嗚呼、早く帰らねば。
愛しいあの子が待っている。
彼はすぐさま止めていた足を動かした。
自然と、その歩みは速くなる。

早く、速く、疾く、捷く、はやく、ハヤク。

何も急ぐ必要性はない。
ただ、酷く急がないといけない気がして、焦燥感が時が過ぎるごとに増した。
右目が、ちりちりと、痛い。
その感覚がとても不快で、青年は走り出した。
“あの子”が待つ家へと。
はやく“あの子”の笑顔が見たい。
その一心で、青年は走りに走った。
途中、雨が降り出した。
しかし彼はそれに構うことなく、ただ只管走る。
すれ違う人々は何をそんなに急いでいるのか、と顔を顰めていた。
だが彼は、それさえも気付かずにただ走る。
青年の心を占める、言いようのない不安。
服が雨を吸収し、ずしりと重くなる。
泥が跳ね、ズボンの裾を汚す。
しかし、そんな事は彼にとってどうでもいい事だった。
今の青年には、たったひとりの人の事で頭がいっぱいなのだから。

「はぁ、はぁ」

荒れ乱れた呼吸を整える。
いつの間にか全力疾走をしていたようだ。
だが、お陰で予定よりも大分早く家に着くことが出来た。

――大丈夫、変わったところは、無い。

青年は我が家を眺め見、自身に言い聞かせるように胸中で呟いた。
実際に家の外見は、彼が出かけたときと何も変わってはいなかった。


――否。

彼は見つけてしまった。
家の扉の前まで続く、見知らぬ足跡を。
自分のものでもなければ、“あの子”のものでもなかった。
“あの子”の足は、もっと小さい。
近所の人のものかと推測もしたが、

――嗚呼、この近所に住む人間などいない。

そう、家の周りにはただ木々が広がるばかり。
街から離れて立つこの家に、ご近所と呼ばれるものなど無かった。

――ならば、誰なのだ。

警報が頭の中で響く。
狂ったように、ひとつの単語だけ浮かんだ。

ハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤク……

青年は、扉の取っ手に手をかけた。











「**……!!」








最後に見た“あの子”は全身鮮やかな赤で彩られていた。
美し、かった。
そう、美しかったんだ。
“あの子”の白い肌を染める赤。
嗚呼、なんて美しい。

青年はふらふらとした足取りで、その“少女”に近づいた。
綺麗だったハニーブラウンの長い髪は、血を吸って鈍い赤毛になっている。
青年をいつだって見上げていた琥珀色の瞳は、今は固く鎖されていた。

「……**」

青年の指先が、優しく彼女の頬に触れる。
しかし、彼女に温度は無く、また反応も無かった。
ぽたぽた。
透明な雫が、彼女の頬を濡らす。
青年は不思議に思いながらも、その出処を考える。

――嗚呼、出処は、ぼく。

自身の頬を伝う雫に触れながら、青年はただ少女を見続けた。
その最期の姿を、目に、魂に、焼き付けるように。

少女の唇は自身の血で赤く染まり、それは宛ら死化粧のようだ。
その唇からはもう、愛しい声は、言葉は、紡がれない。
青年はそっと、そこに自身のを重ねる。

――まだ、温かい。

惜しむようにゆっくりと顔を離し、彼は自身の唇を舐めた。

――血の味がする、彼女の血の。

歪な弧を、彼の口元が描いく。
狂気的な“それ”は、泣いているようにも見えた。


「君の、仇を討ちます。――大丈夫、犯人は判っている」




その数刻後、一人の青年が街に火をつけた。
あっという間に街は火の海になり、地獄絵と化したという。
生き残れたのは約数名。
その中に、青年の姿は無かった――。




それは彼が覚えている限りで、二番目に古い“生”の記憶。
忘れたくても忘れられない、凄惨な悲劇。
初めて“あの子”を失った日。
この時から彼は、たった一つの魂を探し続けた。
今ではもう、最初の名前すら忘れてしまった“あの子”の魂を。