少し考えれば判ることだった。 彼の様子がいつもと違う、と。 自分の腑甲斐なさに、骸は唇を噛んだ。 窓から射し込んだ夕日の光が、自責の念に駆られる彼を照らした。 今、骸の目の前には顔を蒼くした綱吉が眠っている。 疲労が溜まっていたのだろう、と彼の家庭教師は言っていた。 そのことに気付いてやれなかった自分が、酷く情けない。 拳を握り締め、骸は己を責めた。 その時、綱吉が身じろいだ。 そして、ゆっくりと目を開く。 「ん……あ、れ……?むく、ろ……?」 「……お目覚めですか、綱吉くん」 ほっ、と安堵の息を吐いて、骸は表情を緩めた。 綱吉はゆっくりと上半身を起こし、自身の現状を理解しようと思考をめぐらせた。 そうだ。 守護者との会議のとき、急に意識が遠退いて……。 「オレ……倒れたのか」 自身の額に手のひらを当てながら、綱吉は深くため息を吐いた。 本当、情けない。 同時に、守護者のみんなに申し訳ないと思った。 「はい……すみません」 綱吉の呟きに返答して、骸は元気なく綱吉に向かって頭を下げた。 そんな彼の態度にぎょっとして、綱吉は困ったように首を傾げる。 「どうして骸が謝るんだ……?」 「僕が君の体調に気を遣っていたらこんな事には……」 そう言って、骸は目を伏せた。 その様子があまりにも彼らしくなく、綱吉は途方に暮れた。 倒れた自分が気にしていないのに、なぜ骸が責任を感じる必要があるのだろう。 寧ろ、会議中に倒れてしまった自分は、責められても文句は言えないのに。 戸惑いながら、綱吉はそっと骸の手に自分のそれを重ねた。 骸が驚いて視線を上げると、そこには微苦笑を浮べた綱吉がいた。 「骸が心配してくれるのは嬉しいんだけどさ、お前がそんな風だとなんか調子狂うじゃん」 驚きで目を見開く骸に、綱吉は静かにそう言った。 そんな彼に骸は苦しげに顔を歪ませる。 その表情は怒っているようで、どこか泣きそうな表情だった。 「何で、君はそんなに無理をするんですか。身が持ちませんよ?」 そう言ったものの、骸はわかっていた。 誰がその行為を咎めても、彼は仲間の為なら無理も平気ですると。 それが例え、どんなに困難なことでも。 そう考え、骸は再び目を伏せた。 自分が制止の言葉を投げ掛けても、彼は止めないだろう。 「…………骸はさ」 綱吉の声に、骸はぴくりと反応した。 しかし反応しただけで、目線を上げることはなかった。 そのことに少しの不安を覚えながらも、綱吉は再び口を開いた。 「何でそんなに、オレのことを心配してくれるの?」 それは、とても疑問に思っていたこと。 マフィアが嫌いと明言していた骸が、今はそのマフィアの守護者なんかやっている。 そのことが、綱吉は不思議でならなかった。 「そうですねぇ……何故でしょうか」 「は?」 ゆっくりと視線を上げた骸は、自分でもわからないと言うように苦笑を零した。 そんな彼に、綱吉は呆れにも似た声を発した。 「お前さぁ……オレの体が欲しいとか言ってなかったっけ?随分昔の事だけど」 だからオレの体が心配なんじゃないの?と綱吉は眉を顰めて言った。 骸は一瞬ぴたりと動きを止めたが、次の瞬間には「クハハッ!!」と盛大に噴き出した。 その様子に戸惑って、綱吉は脳内で疑問符ばかりを浮かべる。 「確かに言ってましたねぇ、そんなこと。だけど今聞いてみると、如何わしい感じに聞こえますね」 「イカガワシイ?」 首を傾げて片言で言葉を紡ぐ綱吉に、骸は目を柔らかく細めた。 綱吉と骸は気付かない。 骸の視線がとても優しく、慈愛に満ちていることを。 綱吉が鈍いのは周知の事実だが、実は骸も自分の感情面に関する部分には疎いところがあった。 自分の綱吉に対する想いに気付いてはいるが、それが無意識の内に態度に出ていることには気付いていない。 「まぁ、君の体が欲しいというのは今も変わりませんけど。……寧ろ、君の全てを僕のものにしたい」 妖艶に微笑んだ骸に綱吉は一瞬どきっとしたが、彼の問題ある発言にはっと我に返る。 綱吉が骸の言葉を理解するまで少しかかった。 しかし、暫らくすると綱吉の顔は見る見るうちに赤く染まっていき、彼は金魚のように口をぱくぱくと開閉させた。 あまりの衝撃で、声も出ないようだ。 「ば、お前、なに言っちゃってんの!?」 「愛の告白……ですかね?」 やっと声が出せた綱吉に骸が返した言葉は、またしても衝撃的なものだった。 悠然と頬笑む骸とは逆に、綱吉はさらに混乱している。 それが本気なのか、それとも冗談なのか。 今の綱吉には、それを判断する冷静さが欠けていた。 「え、ちょっ……イキナリそんなこと言われても……」 そう言って狼狽える綱吉にくすりと笑みを零し、骸は彼の手をとった。 びくりと反応する綱吉が可愛らしく、骸は愛しげに目を細める。 その表情や仕草に先程から動悸が止まない綱吉は、ただ目を見開くことしかできなかった。 「いきなり?僕は結構前から、君にアピールしてるつもりだったんですけど」 そう言って、自然な動作で綱吉の手の甲に自身の唇を寄せた。 ふわり、と触れるだけのそれは、免疫の無い綱吉には効果覿面だった。 綱吉は視線を泳がせ、「あー、うー」と唸っている。 穴があったら入りたい気分になりながら、綱吉はちらりと骸を見た。 「お、お前……本当に、その…………オレのことが?」 「ええ」 「……いつから?」 ――気付かなかった。 自分の鈍さに呆れながら綱吉が問えば、骸は「至極簡単なことです」と口元に深く笑みを刻んだ。 きょとんと綱吉が次の言葉を待っていると、ふわりと甘い香りが彼の鼻を掠めた。 骸が綱吉の耳元に唇を近づけたのだ。 綱吉が驚いて動けずに固まっている隙に、骸は静かにその唇を開く。 「君に救われた時からですよ」 耳元にかかった息がこそばゆくて、綱吉は思わず脱力しそうになった。 赤面しながら恨めし気に骸を睨め付ければ、彼は楽しげに独特の笑い声をあげる。 からかわれた!?と思い、綱吉は更に顔を赤く染めた。 「おまっ……からかったなっ!?」 「クフフ、君は本当に弄り甲斐がありますね。そこは昔と変わっていなくて、僕は嬉しいですよ」 「まさかソレ、褒め言葉じゃないよね!?しかも何その得意気な表情!!すっごいムカつくんですけど……!!」 「ああ、でも少し生意気になりましたよね。昔の君ならここで蒼褪めながら逃げようとしていたが、今の君はこうやって僕に立ち向かっている。それはとても喜ばしい事ですよ」 微妙に話が噛み合っていないのを薄々感じながら、綱吉は深い溜息を吐いた。 何でこうも骸と話すと疲れが溜まるんだろう……!! 頭を抱え逃げだしたい衝動を堪えながら、綱吉は引き攣った笑みを浮べた。 その様子を眺め、骸はゆっくりと瞼を閉じる。 「綱吉くん、お願いがあります」 「……ん?なに?」 急に静かになった骸を訝しく思いながらも、綱吉は彼に返事をした。 骸の赤と青の瞳は、今は瞼の奥に隠されている。 睫毛長いなぁとか、綺麗な顔だなぁとか、色々な考えが綱吉の頭の中に過ぎった。 だけど、中でも一番気になったのは骸の顔色の悪さだった。 今まで気が付かなかったが、骸は顔面蒼白だった。 綱吉が驚いて口を開こうとしたその時、骸の瞼がゆっくりと開かれる。 赤と青の瞳と目が合い、綱吉は息と共に言葉も飲み込んだ。 「無茶だけはしないで下さい」 骸の唇が紡いだ言葉を聞いて、綱吉は一瞬何のことだか解らなかった。 しかし、すぐに理解する。 これが骸の願いか、と。 ボンゴレ十代目という地位にある自分の体が欲しいとか、その権力を使って戦争を起こしてくれとかではなく、飽くまで骸は自分の安全を願ってくれている。 その事が嬉しくて。 「骸……」 「この際、無理をするなとはもう言いません。言っても、君は絶対に聞かないでしょうから。それに、君が無理をしようとしたら、僕が君の負担を半分だけ請け負えば良いだけの事」 とても面倒臭い事ですが、と骸は迷惑そうに溜息を吐いた。 そして、言葉を続ける。 「しかし、無茶をするのとでは話が違ってきます。僕は生憎、君の無茶に付き合ってあげられる程お人好しではない。だが、君が無茶をしているのを黙って見ていられる訳が無い」 この意味が解りますか、と骸が言う。 それに対し、綱吉は戸惑いながら頭を横に振った。 そんな彼に骸は苦笑を漏らし、骸は静かに綱吉の手を握る。 「無理をすればやり遂げられることなら良いんです。しかし、出来ないと分かっていて無茶をするのだけは止めて下さい。心臓がいくつあっても足りない。けど、それでも無茶をすると言うのなら……」 そこで骸は言葉を止めた。 戸惑ったような表情の綱吉を見つめ、赤と青の双眸を愛しげに細めて。 「 僕を傍に置いて下さい 」 と骸は言った。 その瞬間、綱吉の琥珀色の瞳が大きく揺らぐ。 目の前の男は、こんなにも自分のことを考えてくれている。 綱吉は、今にも泣きそうな笑みを浮べた。 そんな彼の頬に、骸の手が伸びる。 す、と触れた手からは、とても冷たい温度が伝わってきた。 その手に自身の手を重ね、綱吉は静かに瞼を閉じた。 「 うん 」 すっかり暗くなった部屋で、綱吉の声は静かに溶けていった。 |