「綱吉くん!!」





がばっ、と勢いよく飛び起きた。
何だか頭や身体が重い。
寝ていたはずなのに、全く疲れが取れていないとはどういう事なのだ。
まぁ、理由はわかるが。
頭が覚醒しきっていないようで、ぼんやりとしている。
ここはどこで、オレは誰だ。
……なんて、記憶喪失の患者みたいなことを考えてみる。
オレは沢田綱吉、そしてここは……どこだ?

「ああ、やっと起きましたね」

聞き慣れた声に振り向いてみると、そこには骸が居た。
あまりにも顔が近くて、一瞬頭が真っ白になる。
端整な顔は、安堵したように微笑んでいた。
なん、で、骸がここ、に……?
心の中だけで呟いたつもりが、口に出していたようだ。
骸は不満そうに顔を歪め、オレから視線を逸らした。

「僕がここに居てはいけませんか? 君の弱った姿を見に来てやっただけです」

いや、人として最悪の理由だから。
オレはとりあえず、引き攣った笑いを浮べておいた。
やっと脳が覚醒したようだ。
部屋を見渡すと、すぐにこの場所がどこなのかが分かった。
ここは医務室か……。
なるほど、オレは倒れた後ここに運ばれた訳だな。
でも、何で自分の部屋じゃないんだ?

「ほら、まだお眠りなさい。君、熱があるんですから」

熱?
確かに、少し身体が重いけど……。
あと、頭もぼーっとするな。
……言われてみれば、確かに熱がある気がする。
ああ、医務室に運ばれた理由はそれか。
でも、駄目だ。
まだ仕事がある……。
そう思って、オレは立ち上がろうとした。
だけど、眩暈がして思わずベットに倒れ込む。

「ちょ、何やってるんですか君!! 安静にしてなさい!!」

そう怒鳴られ、再びベットに寝かされた。
お願いだから怒鳴らないでほしい、頭に響くから。
まぁ、それほど心配してくれているという事がわかるから、悪い気はしないけど。

「早く寝て下さいね。まったく、確かに起こしてしまったのは悪かったと思いますが、魘されている君も悪いんですよ。どんな悪夢を見ていたか知りませんが、寝るならもう少し静かに寝て下さい」
「はは……ごめん骸。ありがとう」
「……本当に解っているのか怪しいですね」

呆れたように溜息を吐きつつも、骸は安堵したような表情を浮べていた。
多分、親しい者にしか判らないくらいの微妙な表情。
だけど、オレには確かに判った。
なにを、
何をそんなに心配していたのだろうか。
直感的に、骸はオレの事を心配してくれていたのだと理解する。
だけど、理由が解らない。
何故、何故なんだ、骸。
その問いは言葉として口から出せれること無く、オレの中で消化されずに溶け込んでゆく。

「そういえば、一体どんな夢を見ていたんですか?」
「……え?」

ドンナ、ユメ?

「……そんな顔しないで下さい。言いたくないんなら別に良いです」

そんな顔って、オレは今どんな表情をしているんだ?
それに――骸。
なんでお前は、そんな悲しそうなんだ?

「……んで」
「はい?」
「なんで、そんなこと聞くん、だ?」

真っ白になった頭で、特に何も考えずオレはその言葉を紡いでいた。
なぜだか、次から次へと疑問が浮かんでくる。
それも、骸に関することだけ。
本当は他にもっと考えなきゃいけないことがあるのに、その事柄が今は頭の隅に追い遣られていた。
揺れる赤と青が、どんどんオレの思考を奪っていく。
とまどいにゆれる、あかとあおが。

「……じゃあ、」

そこで骸は言葉を切った。
困ったように視線を泳がすその姿は、言って良いのかどうか迷っているようだった。
オレはそれを、ただ黙って見つめる。
暫らくして、骸はゆっくり口を開いた。

「何故、君は泣いていたのですか」

泣いていた?
誰が?
オレが?
いつ?
しらない。
オレは、知らない。

ひやり、と何かが触れた。

「……涙の痕が、残ってます」

骸の手が、オレの頬に触れた感触だった。
なんでこいつは、こんなに手が冷たいんだ?
だけど、その冷たさが今のオレには心地良かった。
嗚呼、思い出した。
オレは、確かに泣いていた。
それはなぜ?
ぽつり、とひとつの言葉が頭に浮かんだ。

「さびしかったから」
「え?」
「……寂しかったから、って言ったんだ」

そう、口に出してしまえば、すんなりと納得できた。
あの夢の中で、オレはひとりだった。
独りだったんだ。
寂しさを感じないなんて嘘だ。
本当は、すごく寂しかった。
声が聞こえても、“そこ”に居るのはオレだけ。
誰も居ない。
在っても、それはただの虚像。
実像は、現実の世界にしかいないんだ。
そして、オレはその現実と向き合わなくてはいけない。

「骸」
「……なんですか?」
「オレさ……骸のこと、好きだよ」

そう言うと骸は一瞬固まって、次の瞬間には顔を紅く染め上げていた。
珍しい。
何だかすごく得した気分になる。
骸のこんな表情を見ることが出来るのは、オレだけが良いな。

「な、なにを、急に……」
「だけど、ボンゴレも大切なんだ」

すっと骸の表情が消えた。
冷たい光が、骸の赤と青の瞳に宿る。
わかってる。
全てを得ることなんて出来ないと。
だけど、オレはどっちも失いたくない。
我侭だとは思うけど、それでも。

「……知ってますよ、そんなの。ああ、解りました。甘い君のことだからどうせ、どちらか片方を選ぶことは出来ない。そう仰るんでしょう?」

嘲るように鼻で笑いながら、骸はそう言った。

「……うん。ごめ……」
「謝らないで下さい。君がどれほどボンゴレを……いや、ファミリーを大切にしているかはこの僕が一番知っています。だからこそ、僕はボンゴレがこの世の何よりも……憎くて堪らない」

その端整な顔に浮かんでいたのは憎悪。
だけど、それがとても美しくて。
恐いと思ったのと同時に、綺麗だなと思ってしまった。
でも、何より……悲しいと思った。
とても、不器用な人。

嗚呼、何だか。
彼と出逢ったときを思い出してしまった。
あの時の彼も、今のように憎しみで歪んでいた。
だけど、あの時とは違うことがある。
オレは少なからず、あいつの不器用な優しさを知った。
戸惑いながらもあいつは、オレに手を差し伸ばしてくれる。
マフィアが憎いと言うくせに、そのマフィアのオレを守ってくれたのもあいつだ。
本当、不器用で……なんて愛しいんだろう。
そう思ったら、自然と目からじわりと温かいものが溢れた。

「っ……き、み……泣かないで、下さいよ」
「え……?あ、本当だ。オレ、泣いてる」

自分の頬に触れてみて、濡れているのがわかった。
なんで泣いているのか自分自身でもよく判らなかったけど、原因は目の前のやつだということは嫌でもわかってしまった。
だって、こいつの事を見るだけで、考えるだけで、オレの涙腺は情けないほど緩んでしまう。

「……何で君が泣くんですか。泣くのは振られた僕のはずでしょう。泣きませんけど」
「ははっ、お前、本当、どうしようもない」

心底困ったような骸に、思わず笑いがこぼれた。
それと同時に、何でこんなにも泣きたい気持ちになるのかと思う。
自分の鈍さに改めて呆れたけど、やっと納得できた。
オレはずっと前から、骸のことを見ていたんだって。
骸を見るたびに、考えるたびに湧き上がった感情。
その時は何だろうと首を傾げたが、やっとわかった。

オレは、骸が、愛しい。


「じゅうねん」
「え?」

オレの呟きに、骸が眉を顰めて問うような視線を送ってくる。
そりゃそうだ。
オレの発言はイキナリすぎたし、何より言葉が足りない。
何が、と問いたくなるのも無理はないだろう。

「あと十年、待っててくれないか?」

オレの問いに、骸は無言で返した。
しかし、視線はその先を促していて、オレは思わずほっとしてしまった。
嗚呼、まだ大丈夫だ。
骸に愛想は尽かれていない、多分。

「オレは遠いあの日、初代ボンゴレと約束した。“オレがボンゴレをぶっ壊してやる”って。それが成就するまで、オレはボンゴレのボスを放棄することなんてできない。だから、骸……」
「わかりました」

オレの言葉を遮った骸。
その表情はどこか困ったようで、だけど“仕様が無い”と言っているようだった。

「……え?」
「だから、わかったと言ったんです。アレですよ、その、惚れた弱みってヤツです。とても不本意ですが。しかし生憎、僕の君への想いは生半可なものではないので。苦しいから、辛いから諦める、なんて選択肢は無いんですよ、綱吉くん」

そう言って、骸は目を細めた。
オレは何て返したら良いかわからなくなって、頭が真っ白になって、気付いたら……


骸を抱き締めていた。

「つ、綱吉くん!?」
「お前、本当、何で、そんな……!!」
「……待っていますよ、十年でも、二十年でも。ずっと、君を」

待ち続けます、と耳元で囁かれれば、きっとオレじゃなくても泣きたくなるはず。
それに加え、自分を包み込むような想い人の体温を感じれば。
お前、本当、どうしようもない。
どうしようもなく、優しすぎるよ。
そして、そんな骸に。
どうしようもなく、愛しさが溢れてくる。

「約束です、綱吉くん」
「……うん……うんっ……約束、だ……!!」

熱の所為か、それとも骸の所為か。
身体が酷く熱い。
だけど、それさえも愛しく、幸せだと感じるのは……




絶対お前の所為だ、骸。









   約束の未来


                       (訪れるのは、未だ先のことだけど。)