「怖くないんですか」

隣に立つ男のあまりにも唐突すぎる質問に、オレは一瞬なにを言われたのか解らなかった。

「……何が?」

やっと出た言葉がこれだった。
そもそも、さっき会ったばかりの人間に「怖くないんですか」はないと思う。
第一、主語が足りない。
オレが何が、と問い返すのも無理はないだろう。
それに、オレは十年後の目の前の男――六道骸――とは初対面にも等しいのだから。
いきなりオレの目の前に立ったかと思えば、いきなり過ぎるその質問だ。
正直、頭が痛くなる。
オレは、この男とまともに話せる自信が無い。
骸は一々難しい言い方をするから。
そんな事を考えているうちに、骸がゆっくりと口を開いた。
次の瞬間、オレは驚くことになる。

「死ぬことが」

やっぱり、骸とまともに話すことは期待できなさそうだ。
衝撃で、というよりも呆気に取られて、オレは目を見開いた。
返す言葉も思い付かなくて、気まずい沈黙が周囲に流れる。
そうだよな、十年後の骸はオレが死んだことを知ってるんだよな。
当たり前すぎることに、妙な感心を覚えてみたり。
斜め上を見上げると、そこには端整だけど無表情な骸の顔があった。
彼にしては珍しい。
いつもなら、不気味で嫌味な笑みを湛えているはずなのに。
なのに今日は――。

「ちょっと、聞いているんですか」

はっとして、オレは自然と骸を見る。
案の定、ヤツは整った眉を顰めてオレを見下ろしていた。
その表情があまりにも不機嫌そうで、思わず「ごめん」と謝ってしまう自分が情けない。
骸はやれやれと肩を竦めて、オレをさも不憫な子供を見るような目で見下ろした。

「そんな事でミルフィオーレを倒せるんですか?」

小馬鹿にしたように鼻で笑いながら、骸は言った。
そんなの、オレの方が聞きたい。
だけど、“倒したい”じゃないから。
“倒さなきゃいけない”だから。
オレは「うん」と骸に頷いて見せなければいけないんだ。
だけど何故か、そのひとつの動作が出来ないでいた。
代わりにオレは、強く拳を握った。

「……まぁ、良いんですけどね。君が倒さなくても、白蘭は僕がこの手で葬ります」

壁にもたれ掛かり、視線を白い天井へと向けながら、骸はそんなことを言った。
その言い方は、オレがミルフィオーレを倒すことに何の期待も抱いていないような口振りだ。
そして、静寂が部屋に広がる。
困った。
なんか気まずい。
特に話すことも無いけど、この静寂に耐え切れなくなったオレは何か話題を振ろうとした。
だが。

「だけど、」

骸がイキナリ口を開く。
オレは言葉を飲み込み、骸の次の言葉を待った。
迷っているのか、少しの間骸は沈黙していた。
暫らくして、骸が彷徨わせていた視線をオレに移し、真剣な表情で言う。

「絶対に過去に帰りなさい」

一瞬、何を言われたのかわからなかった。
だけど、骸の眼を見ているうちに、嗚呼コイツは心配してくれてるんだなって気付いた。
まったく、わかり難いのかわかり易いのか。
いや、やっぱりわかり難い。

「わかった」

気付けばそう口にしていた。
何がわかったのか自分でも理解できないが、何故だかオレはそう言わなきゃいけない気がしたんだ。
すると骸は目を見開いたかと思うと、次の瞬間には今まで見たことのないような優しい笑みを浮べた。
上辺ではない、心からの。
そう、オレは感じた。
都合の良い解釈かもしれないけど、オレにはそう見えたんだ。

「……そうですか」

そう呟いて、骸は笑顔を消して再び天井を見上げた。
天井に何か面白いものでもあるのだろうか。
気になって、オレは釣られるように天井を見上げる。
何てことない、ただの真っ白い天井だ。

「骸」
「……はい?」

オレ達は天井を見上げたまま、互いに視線を合わせない。
だけどオレは、骸がオレの呼びかけに答えてくれた事を密かに嬉しく感じていた。

「オレ、過去に帰って未来を変える。絶対に。だから……」

だから、また笑ってくれよ。
その言葉は、オレの口の中で溶けて消えた。
だって、オレの言葉を遮るかのように、骸がオレの唇に人差し指を当てたから。
骸の方に顔を向けると、彼は苦笑していた。

「気持ちだけ、受け取っておきます」

すっ、と骸はオレの唇から指を離す。
それと同時に、温度と感触が遠ざかる。
名残惜しいと思う自分が、少し可笑しかった。

「それでは、僕はこれで」

そう言って、骸は踵を返す。
それと同時に、濃い霧が立ち込め始めた。

「っ骸!!」

思わず、オレは手を伸ばしながら奴の名前を叫んだ。
行って欲しくない。
ここにいて欲しい。
祈りにも似た願いが、オレの口から飛び出そうになる。
オレはそれを、唇を噛むことで耐えた。
ゆっくりと、力なく腕を下ろす。
むくろ、と聞こえないことを承知で、声を出さずに呟いてみる。
これで振り向かなければ、骸のことはきっぱり諦めようと思って。
だけど――。


「 Arrivederci 」


骸は、振り向いた。
困ったように苦笑しながらも、その美しいオッドアイの瞳には優しい色が灯っている。
ああ、もう、オレは、奴から――逃れられない。
去っていく骸の広い背中を見ながら、オレは深く実感した。





「ああ、また会おうな。―――絶対」









喩え明日が見えなくても

(ああ、お前は酷い奴だ。)