「僕の為に消えて下さい、ボンゴレ」 そう言った窓際に立っている骸の表情は、彼の背後にある窓の外から射す青白い逆光で見えなかった。 ただ、口元に笑みを浮かべているのだけは何となく分かった。 「オレを……殺すのか……?」 「それも良いですね……。だけど違います。君を殺すのではなくて、ボンゴレを消すんです」 意味が解らなかった。 いや、骸が意味解らないのは今に始まったことじゃないけど。 だけど、ボンゴレを消すこととオレを殺すのは同意義なのではないか? オレが悩んでいると、骸は楽しげに笑った。 クフフ、と相変わらず変な笑い声を洩らして。 「……何が可笑しいんだ」 「いえ、悩む君があまりにも可愛らしくて」 「ッ……ふざけるなよっ!!」 思わず感情的になってそう叫べば、骸は一瞬笑みを消した。 だが、次の瞬間には再び口元に笑みを湛え、ゆっくりとオレに近づいてくる。 それと同時に、骸の表情がはっきりとしてくる。 だが、もう少しで表情が分かりそうという所で、骸はぴたりと止まった。 「綱吉くん。僕が言いたいのは、君が解釈しているものと逆のことです」 「逆のこと?」 月明かりだけが部屋の中を照らし出す。 骸のシルエットが頷くのが分かった。 電気もつけずに何やってるんだとか、もっとオレにも理解できるように話してくれないかとか、色々な思いが脳の中を目まぐるしく通り過ぎる。 だけど行き着くのは、ただただ真っ白な考えだった。 きっと、混乱しすぎて脳がついていけてないのだ。 彼の言葉を反復することで少しでも理解しようと試みたが、やっぱり解らないものは解らなかった。 不意に、骸がドアへ向かって歩き出す。 今度は何なんだ。 言い逃げか、と思いながらも、オレは骸の動作を黙って見ていた。 ドアの前に立ったと思ったら、骸は急にこちらを振り向く。 ――今度は、はっきりと彼の顔が見えた。 「僕の為に、ボンゴレを辞めて下さい。綱吉くん」 骸は笑っていた。 …………悲しげに。 そしてその翌日、骸は俺の前から姿を消した。 + + + + + + 骸の姿を見なくなって数週間が過ぎた。 相も変わらず、オレは仕事に追われている。 寧ろ、骸がいなくなってからの方が忙しくなった気がする。 認めるのは悔しいが、ヤツは有能だから。 骸が居なくなったその日の内に、オレはリボーンから『骸は特別任務で“外”に出ている』と聞いた。 ボスであるオレに何も言わずにか、と言おうとしたが、それは何だか大人気ない気がしたから止めた。 それに、骸もリボーンもボンゴレの為にと思って動いたのだから、ボスのオレが怒るのはお門違いだというものだ。 そうは思うのだが……何だか面白くないような、よくわからない感情が胸で燻っている。 骸が居なくなってから、どうも調子が良くない。 体調が悪いとかではなく、本当にイマイチ調子が“良くない”のだ。 元々失敗は少ない方ではなかったが、最近は更にそれに磨きが増しているというか……。 お陰でここ最近は、リボーンに殺されそうになる日々が続いていた。 こんな事を考えている今現在も、オレはリボーンに見守られながら(基、睨まれながら)仕事を進めている。 傍から見たら銃磨きに勤しんでいる様に見えるが、オレは知っている。 今度こそオレが失敗したら殺すつもりで、銃をちらつかせながら実のところは脅しているのだと。 いつもなら獄寺くんや山本が間に入ってくれるのだが、生憎と今日は二人とも任務で居ない。 夕方には帰ってくるとは言っていたが、それはきっと難しいと思う。 おっと……駄目だ駄目だ。 どうも部屋に引きこもって仕事をしていると、悪い方ばかりに考えが向かってしまう。 集中してさっさと終わらせよう。 そして、今日は早く寝てしまおう。 ペンの動かし過ぎで手が痛くなっても、頭を使いすぎて気が狂いそうになっても、オレはペンを走らせ続けた。 休憩も取らず、ただ仕事を終わらせることを一心に考えて。 「……ツナ?」 意識の遠くの方で、オレを呼ぶリボーンの声がした。 返事をしなきゃと思ったが、その前にオレの意識は暗いところへと堕ちていった。 ゆらゆらと意識の渦を漂う。 それはまるで水上に浮かぶような感覚で、とても心地良かった。 不安定な状況のはずなのに、何故か安心できる。 世間の柵も無く、仕事に追われることも無い。 現実世界に戻れば、確実にリボーンに怒られるだろう。 いや、今度は本当に殺されかねない。 だけど、そんな心配も“ここ”では意味を成さない。 “ここ”はただ、ゆらゆらと漂う場所。 何も考えず、ただ無心になれる場所。 オレは“ここ”がスキだった。 何も無く、誰も無く。 オレだけが在る。 ≪ホントウニ?≫ ……本当だ。 オレは“ここ”がスキだ。 何者にも平安を邪魔されない。 現実の世界に戻れば、嫌でも平安と逆のものを強いられる。 ≪サビシクナイ?≫ ……ああ、寂しくなんてない。 確かにオレ以外何も無いけど、それが“ここ”のイイところだと思うんだ。 寂しさなんて、感じない。 ≪ジャア、ナンデ…………泣いているんですか?≫ 泣い、ている……? そんな事ない。 だって、涙なんて出てない。 頬に何か伝っている感覚なんて無い。 オレは泣いてない、寂しくない、全部ホントウだ。 なのに……そう思うのに。 何なんだ、この妙な感じは。 じっとしていられない様な、落ち着いていられないような感情。 心が荒波のようにざわついて、自分を急かしている。 でも、何でだ? 認めよう、この感情は“焦り”だ。 だけど、何故焦る必要がある? オレは一体、何に対して焦りを感じている? 訳がわからなくて、胸の辺りがぐるぐると気持ち悪くなった。 『……綱吉くん』 その時、青年の低い声が響いた。 ああ、懐かしい。 ここ最近、聞いていなかった声だ。 声だけ聞けば優しいものなのだが、この声の主の実態は変態である。 騙されてはいけない。 自分にも、遥か昔に騙されてしまった苦い想い出がある。 まぁ、今となっては良い想い出だが……とかは絶対に思わない。 あの時は本当、死ぬかと思ったのだから。 その時と較べれば、今の彼は随分と柔らかくなったんだなと思う。 角が取れたというか、毒が抜けたというか。 何が彼を変えたのかは分らないが、とりあえず“何か”に感謝しておこうと思う。 恐くて冷たい昔の彼より、嫌味で意地悪だけど暖かみのある今の彼の方がオレは好きだ。 『綱吉くん』 まただ。 今度は先程と比べ、はっきりと響いた。 この声を聞いていると、ずっと“ここ”に居たい気分になる。 だって、目を覚ましても彼―骸―は居ない。 それならば、骸の声を聞いていられる“ここ”に居る方が幸せなのではないか。 そう考えたが、やはり違うと考えを改める。 そんなの、本当の幸せではない。 現実から目を背けるな、沢田綱吉。 “あいつ”から逃げるな、沢田綱吉。 ボンゴレ十代目として、そして一人の人間として。 オレは“あいつ”から目を背けちゃ駄目なんだ。 向き合わなくちゃ駄目なんだ。 確かに、最初の印象は最悪だった。 凶悪で脱獄犯の少年。 話に聞いただけで縮みあがった。 そして、実際対面してみての印象は驚愕。 まさか人質だと思っていた人物が、本当の六道骸だったなんて。 騙された。 こう考えてみると、つくづくオレの骸に対する印象は悪かったんだなと実感する。 だけど、骸という人間を知っていくにつれ、オレの見解は変わっていった。 最初は同情。 しかし、あいつの暖かい部分に触れて、オレはわかったんだ。 骸は純粋すぎなんだ。 本当は誰よりも潔癖で、誰よりも優しい。 それ故、道を間違ってしまった。 ……いや、間違った道だなんて誰にもわからない。 ただ、正しい道だったとは言えない。 オレが何を言っても、偽善にしか聞こえないけど。 だって、あいつの苦しみはあいつにしか分らないのだから。 だけど、あいつの苦しみを理解しようとする努力はできる。 あいつを独りになんてさせたくない。 ううん、させない。 ほら、思い出してもみろよ。 骸はオレに、いつだって手を伸ばしてたじゃないか。 あいつは素直じゃないから直接口に出しては言わなかったけど、行動の隅々にその面影はあったじゃないか。 ふと浮べる悲しげな笑いだとか、時折遠くを見つめるような眼差しとか。 それに、最近もあったじゃないか。 今回はいつもと違い、直接口に出していたじゃないか。 ―僕の為に、ボンゴレを辞めて下さい。綱吉くん― 理解するには難しい言い方だ。 だけど、オレは理解しなくちゃいけない筈だったんだ。 あれは骸なりのSOS。 それを無視することは、あいつを失うこと。 そんなのは絶対に嫌だ!! だってオレは、オレは……。 ……ああ、今わかった。 オレは、骸のことが――。 そのとき、遠くの方から誰かの声が聞こえた。 「――くん!!」 |