「はぁー……三十八度、間違いなく風邪だね」

リドルは溜息を吐きながら、先程までの体温を測っていた体温計を眺
める。
それを横目で睨み、は面倒臭そうに前髪を掻きあげた。

「ゴホゴホっ……あ゛ー? 風なんか吹いてねぇですよー? リドルくん頭
だいじょーぶですかぁ?」
「いや、君の頭こそ大丈夫って聞きたいんだけど」

意味の判らないことを言うを呆れたように見遣り、リドルはなるべく
足音をたてないように部屋から出ようとした。
しかし、の「どこに行くんだ?」という問いかけに足を止める。

「朝食とか薬を持ってくるよ。絶対にベットを抜け出したりしないでね」





私達に革命はいらない 05




が風邪ぇ!?」
「うん」

の食べられそうなものを取り皿に乗せながら、リドルはレナルドの言
葉に頷いた。
早く部屋に戻らないとがベットから出てしまうかもしれない。
いや、それどころか部屋を出てしまうかもしれない。
そんな思いが、リドルを急かせていた。

「あのが、ねぇ……。いやはや、明日は嵐か?」
「きっと慣れない生活で疲れが溜まっていたんだよ」

苦笑を浮べながら、リドルは林檎に手を伸ばす。
その様子を眺めながら、レナルドは「ふーん」とトマトを頬張った。

「疲れねぇ……まぁ、ゆっくり休めってことだな」

自分の言葉にうんうんと頷き、レナルドはリドルの取り皿にトマトを置いた。
これを食えばあいつもすぐに元気になるぜ、とレナルドは笑う。
トマトを食べただけで治るなら薬なんていらないと思いながらも、リドルは
それを受け取った。
気休めぐらいにはなるだろう、と。

「確か、今日の最初の授業は呪文学だったよね? フリットウィック先生に
は休みだって伝えといてくれるかい? あと、僕も少し遅れるって」
「了解りょーかい。に早く治せよって伝えといてくれ」

レナルドはガハハと豪快に笑いながらも、その表情はどこか心配そうな色を
宿している。
その事に関しては敢えて触れず、リドルは席を立った。

「うん、伝えておくよ」

手短に答え、リドルは大広間から出て行った。



 + + + + + +



部屋に入ると、ベットの中は蛻けの殻だった。
しまった、と思いのベットの傍まで行く。
リドルの表情には焦燥が色濃く浮かんでいた。
ベットのシーツに触れると、まだ暖かかった。
先程までここに居たという証拠だ。
悔しげに舌打ちをして、リドルは急いで部屋を出ようとする。
しかし、ふと視界の隅に何かが映った気がした。
まさか、と考え、リドルは再びベットへと戻る。
そして、反対側に回って驚きに目を見開いた。
そこには熱に浮かされ、頬を上気させながら苦しげに喘ぐの姿があった。
急いで助け起こし、リドルはを横抱きにした。
それから、静かに彼女をベットに横たえる。
――正直驚いた。
彼女がこんなにも軽く、柔らかいとは。
リドルは自身の掌を見つめ、眠る彼女と見比べた。
しかし、が寒そうに寝返りを打ったのを見て、慌てて布団を被せた。
彼女の額に浮かぶ汗を拭ってやれば、少し表情が和らいだ。

「ん……父上さ、ま……母上、さま……」

一筋の雫が、の目から零れ落ちる。
悲しげにも見えるその表情は、とても綺麗に思えた。
は今、どんな夢を見ているのだろうか。
悲しいものなのだろうか。
それとも、家族との楽しい思い出なのだろうか。
興味がない訳ではない。
しかし、だからといって知りたいとも思わない。
知ったところで、自分は楽しいとは思えないのだから。
彼女とその思い出を共有できる訳ではないのだから。

「……ぃや……やめて……お願、っいやぁぁああぁあああぁぁぁ!!」
「っ!? !!」

急に彼女の表情が苦しげなものに変わったと思ったら、涙を流しながら叫び
出した。
リドルは驚いて息を呑んだが、すぐに様子がおかしいを起こし始める。
暫らく彼女の肩を揺さ振っていれば、ゆっくりとの瞼が開いた。
始めは呆然とリドルを見つめていたが、少しすると状況を理解したのか、
は静かに上半身を起こした。

「リド、ル。……つっ!!」
「無理しない」

苦しげに顔を歪めながら頭を押さえるに、リドルはやんわりと彼女を
寝かせようとする。
しかし、それを拒否するように、首を横に振った。

「いや、いい。今は、寝たく、ない」

先程の夢を思い出しているのか、は辛そうに唇を噛んだ。
余程の悪夢だったのだろう、彼女の顔色は蒼白だった。

「そう……。取り敢えず、朝食を摂ろう」

優しく微笑むリドルの言葉にこくりと頷き、はベットのサイドテーブ
ルの上に置いてある朝食に目を移した。
そういえば、とは思う。

「やばっ!! 授業!!」
「ああ、は休みますってレナルドに伝言を頼んでおいたから大丈夫だよ」

にっこり、と微笑むリドル。
今更ながら、はその胡散臭い笑みに気付き、眉を顰めた。
何を企んでやがるんだ、と。

「リドル、お前……授業出なくて良いのかよ」
「すぐに行くよ、に薬を飲ませてからね」

そう言って、リドルはの目の前に朝食を差し出した。
頭が痛くなったのは気のせいではないだろう。
は熱が上がってくるのを、複雑な想いで感じていた。
渋々リドルから朝食の乗った皿を受け取り、ちらりと彼を窺い見る。
そこにはやはり、胡散臭い笑みをにこにこと浮べるリドルが居るだけだ。

「大丈夫だって……ちゃんと飯食って薬飲んで寝るって。だからお前は、早
く授業に行けよ。そして、オレの分のノートをとって来い」
「そのことについては心配無用だよ、。きっと今頃、レナルドが僕ら
の分のノートを必死に書きとめておいてくれている筈だから」
「……“僕ら”っていうのが気になんだけど。アンタ、自分の分もレナルド
に書かせるつもりかよ……」

悪びれる様子もなく微笑むリドルに、は呆れたように溜息を吐いた。
その利用できるものは利用してしまえ根性には、本当に見上げてしまうもの
がある。
林檎をしゃくりと咀嚼しながら、は苦笑した。
そして、ふと思い出す。
こいつは自分を悪夢から覚ましてくれたんだよな、と。
そう思い、は何故か胸に暖かいものが広がるのを感じていた。

「……ありがと、な」
「? 何が?」

解っているのかいないのか、リドルはきょとんと首を傾げた。
いや、恐らく彼は解っていて、解らないフリをしているだけなのだろう。
その証拠に、彼の口元には意地の悪そうな笑みが浮かんでいた。

「……わからないなら、いい」
「えー? 何がわからないって?」
「ああぁああぁぁあ!! お前ウザい!! オレはもう寝る!! さっさと
授業に行っちまえ」

が拗ねたように口を尖らせて言えば、リドルは益々楽しげに口元に弧
を描く。
そんな彼の態度に怒りが収まりきれず、かと言って今喧嘩を吹っ掛けても病
人の自分では敵わないと思い、は怒りで顔を赤く染めながら布団へと
潜った。
しかし、それを何事も無かったかのように平然としたリドルによって止めら
れてしまう。

「待って。寝る前に薬を飲め」
「……はいはい」

リドルの言葉が命令形だったのは、敢えて突っ込まない事にする。
もうどうにでもしてくれ、と諦めたように溜息を吐き、はリドルの言
葉に従った。
それを満足気に見つめ、リドルは彼女に小瓶に入った薬を渡す。
それを訝しげに見つめながら受け取り、は首を傾げた。

「これ、なに」
「何って……薬だよ?」
「いや、それはわかるケド……なんで紫色なんだ」

くんくん、と匂いを嗅いでみれば刺激臭がした。
アルコールのような臭いだ。
は「うェー」と眉を顰めながら、嫌だ嫌だと首を横に振った。
こんなもの飲めない、と。
しかし、リドルは有無を言わさぬような笑みで、に無言の圧力をかける。
ぐだぐだ言ってねぇで飲めやァ、と。
暫らくとリドルの攻防戦が続いていたが、ついにが折れた。
ごくり、と生唾を飲み込み、次の瞬間には一気に薬を呷る。
口内に何とも言えない苦い味が広がった。
最後の一口をごくん、と飲み終わった頃には、のテンションは一気に
下がっていた。

「……飲んだ、ぞ」
「わざわざ言わなくても見てたから判るって。さて、それじゃあ僕は授業に
出るよ。くれぐれも安静に、ね。昼にまた様子を見に来てあげるよ」

バイバイ、と手を振りながらリドルはドアへと向かって行く。
それをはつまらなそうに見送った。
バタン、とドアが閉じるのと同時に、はベットへと倒れこんだのだった。