「よっ、ハグリット」
「おおっ!! じゃねぇか!!」

はひらひらと軽く手を振りながら、目の前の大柄な―という言葉では足りないほど大きな肉体を持つ―男子生徒に向かって歩んだ。
縦横共に常人の数倍もある体の持ち主であるその男子生徒は、聞き覚えのある声に俯いていた顔を上げ、に手を振り返す。
ルビウス・ハグリッド。
それが男子生徒の名前だった。






私達に革命はいらない 06




はハグリッドの前まで来ると歩みを止め、美麗な顔に呆れの表情を滲ませた。

「まぁたトロールと相撲か? それとも魔法生物飼育学の予習?」

にやり、と意地悪い笑みを浮べてみせれば、ハグリッドは何で知っているんだと眉を顰める。
が風邪でダウンしていた三日間の間に、ハグリッドは学校を抜け出して禁じられた森でトロールと相撲をしたのだった。
しかしその後、教師に発見されて彼は厳しい罰則を受けたのだが。
それをリドルから聞いたとき、は内心ずるいと思ったものだ。

「オレが休んでる間に何楽しそうな事してんだよ。オレも誘え」
「無茶言うな。お前さん、風邪で休んでたろ」
「ふん。オレを見縊ってもらっちゃあ困るぜ」

いじけた様に口を尖らせるに、ハグリッドは苦笑した。
ふと、過去の情景が頭を掠める。
二人の出会いは、夜中の禁じられた森だった。
散策をしていたと、魔法生物と戯れようとしていたハグリッド。
二人は互いに怪しい奴だと思いながらも声を掛け合った。
すると話をする内に魔法生物好きという点で気の合った二人は、今では寮という名の壁を越えた仲の良い友人同士なったのだ。
スリザリン生にしては信じられないほど親しみやすいに、ハグリッドは頬を緩める。

「それでも、風邪のときは安静にしてろ。が只者じゃねぇのは知っちょるから」
「……そりゃどーも」

心底心配するようなハグリッドの瞳に見つめられ、は照れて顔を背けた。
は誰かに心配される、という行為に慣れていない。
リドルに対しては大分慣れたが、出逢って未だ間もないハグリッドに対してはやはりまだ照れが出てしまうのだ。
は話題を変えようと、そう言えばさぁと口を開いた。

「お前、クリスマス休暇は実家に帰るのか?」
「いや……今年は帰らねぇ。帰っても、待ってくれてる人はいねぇしな」

少し傷付いたようなハグリッドの横顔を見て、はしまったと後悔した。
自分にも実家に帰らない理由があるように、ハグリッドにも実家に帰らない理由があるのだ。
彼の表情がその理由の深刻さを物語っていて、は思わず唇を噛む。
自分の失言が愚かしい。

「そうか……」

ただ相槌しか打てない自分が、酷く情けなく思えた。
これは憶測に過ぎないが、ハグリッドは恐らくとても大切な人を亡くしてしまったのだろう。
そして、それは多分家族だ。
帰ったら待ってくれている人なんて限られている。
恋人、友人、そして家族。
実家に帰って待っているものなんて、思いつくものは家族だろう。
不意に、父と母の笑顔がの脳裏に浮かんだ。
大好きだった優しい両親は、もう居ない。
この世の何処を探しても、彼等を見つけることは絶対に出来ないだろう。
何故なら、彼等は殺されてしまったから。
闇のような黒衣を纏い、獰猛な金の眼を持つ“死”そのもののような男に。

「オレも、家には帰らねぇ」

その言葉にハグリッドが顔を向けると、は虚ろに地面を見つめていた。
まるで人形のような表情で言うので、ハグリッドは普段とは違うの態度に、内心驚きを隠せない。
何と言葉をかけて良いのかも分らなくて、ハグリッドはただを見つめることしか出来なかった。

……」

心配の色を酷く滲ませたハグリッドの声に、はハッと我に返った。
固い表情を崩し、ごめんごめんと苦笑する。

「オレもさぁ、家に帰っても誰もいねぇからよ。それにホグワーツのクリスマスディナーは最高なんだろ? 折角この学校に来たんだ、食わねぇと損だろ」

はニカッと、屈託の無い笑顔を浮べた。
その表情を見て、ハグリッドはただの杞憂かと思い直す。
あのが、今にも泣き出してしまいそうに見えたなんて。
そうだなとハグリッドが相槌を打つために口を開きかけたその時、二人の耳にがさっと草が擦れる音が聞こえた。

「っ、誰だ?」

は身構えて、足音の方へと視線を移す。
そこには見間違えるはずも無い、よく見知った端整な顔があった。

「り、りどる!?」

何でここにいるんだ!?と上擦った声を出しながら、はリドルの元へ歩み寄った。
対するリドルも、同じようにの元へと歩き出す。

「君こそ、こんな所で何をしているんだい? ここは一般生徒は立ち入り禁止のはずだ」

眉を顰めるリドルの言葉に、は「げっ」と後退りながら冷汗を浮べた。

「そ、それはお前にだって言えることだろっ!?」
「僕は一般生徒じゃなくて監督生だからね」
「な、そんなの屁理屈だーっ!!」

はリドルから逃げるように、ハグリッドの背に隠れた。
これでリドルから逃れられるとは思っていないが、気休めくらいにはなる。
そんなに苦笑を浮べながら、リドルは溜息を吐いた。

「……が心配で、思わず後を追ってしまったんだ……」

え、とがリドルの言葉に反応する。
想定の範囲外の言葉だったので、は思わず我が耳を疑った。
そして次に、目の前の少年は本当にトム・M・リドルなのかと凝視する。
見た目は本人に間違いないように見えるが……。

「お前……本当にリドルか……?」
「あははー、何なら君の秘密を暴露しちゃおうk……」
「はいはい!! 貴方は正しく優等生のトム・M・リドル君その人であります!!」

ハグリッドの背に隠れるのを止めてびしっと敬礼をするに、リドルは満足気に「よろしい」と頷いた。
そんな二人を戸惑いを隠せず交互に見遣るハグリッド。
あの“トム・M・リドル”が、他人とこんなにも楽しげに会話をしているところなど彼は見たことがなかった。
正確に言えば、“楽しげに”会話しているところは見たことがある。
しかし、こんなにも心の底から楽しそうにしているリドルを、ハグリッドは入学してからこの方一度も見たことがなかった。
――いや、本当にそうだろうか。
”という人物が来てからというもの、彼はとても生き生きしている気がする。
それこそ、の隣にいるときは“大人顔負けの優等生”ではなく“年相応の普通の少年”に見えた。

「だいたい、病み上がりの人間が夜中に、しかも禁じられた森なんかで何をしているんだ」
「何って……世間話だよなぁ、ハグリッド」

そう言って見上げてくると、それに倣って初めてハグリッドを見るリドル。
美少年という言葉がぴったりな双方に見つめられ、ハグリッドは大きな身体に似合わずわたわたと慌てた。

「う、ああ、おう、そ、そうだな」
「そうそう、そーいう訳なのですよリドル君」
「いや、それって正当な理由になってないから」

どもりながらも答えたハグリッドに続き、は頷きながら適当に話をまとめた。
何が「そーいう訳」なのだかハグリッドにも、況してリドルにもさっぱりわからない。
呆れて溜息を吐いたリドルは、「とにかく」と違反した目の前の生徒二人に視線を合わせる。

「今回は見逃してあげるから、二人とも早く自分の寮に帰りなさい。それが聞けないというのなら、それ相応の罰則は覚悟しなさい」
「ああ? 何いきなり敬語になってんの優等生キャラを演じようってか今更だよなーお前が似非なの知ってるからー」
「……、君ちょっと黙っていようかというか黙れ」

黒い笑顔でそう言われ、は顔面蒼白にして押し黙る。
リドルのこめかみに青筋が見える気がするがきっと気のせいだ、そう思わないと魔王降臨の恐怖で卒倒しそうだった。
そう、彼の背後に見える黒い未知の気体(なのだろうか)は、自分の眼の疲れが見せた幻なのだと。
は自分に言い聞かせた。

「さぁ、帰るよ。こんなところに長居するのは、病み上がりの身体には良くない」
「……うぃっス」

リドルの黒い瘴気――もとい、黒い笑顔に当てられ一気に具合が悪くなったは、ぐったりした様子でリドルに手を引かれた。
この体調の悪さは病み上がりとは関係ないんじゃないか、と思う
そんなを、心配そうに見つめるコガネムシのような眼が二つ。
ハグリッドの視線に気付いたは、力なく弱々しげに笑った。

「という訳で先に帰る……お前も早く帰れよ……?」
「あ、ああ……早く元気になってくれよ、
「おうよ」

そう言って、とリドルは城の方へ帰って行く。
残されたハグリッドは、その二つの背中をじっと見送っていた。
だが、暫らく見送っていると、不意にリドルがこちらに振り向いた。
彼はすぐに顔を前に向けたが、ハグリッドの見間違いでなければ彼は――鋭い刃物のような目付きで自分を睨んでいた気がする。
あくまで“気がする”だけなのだが。
自分と彼らの距離は、表情が判るか判らないかというほど離れているのだから。
しかしそれでも、一瞬だけ感じたあのぴりりとした空気は――。

「……まさかな」

あの聖人君子なトム・リドルが殺気を放つなど。
ありえないな、と自己完結して、ハグリッドは森の奥に消えていった。