「ここで何をしているんだ」 俺の問いかけに、目の前の少女は弾けたように振り返った。 漆黒の美しい髪を揺らし、深海のような深く青い眼を見開かせ。 ―……やはり。 やはり、彼女は青い瞳だった。 そして俺は、目の前の人物を知っている。 以前、何度か言葉を交わした事もある。 いつかだったか、俺は苦しげに蹲っている少女を保健室へと連れて行ったことがあった。 その少女は艶やかな漆黒の髪を持ち、深い海のような青い瞳だった。 俺の記憶が正しければ恐らく、目の前の人物ははその時の少女だ。 学年も名も知らぬ美少女。 Melodia 03「あ……貴方は、」 少女は口を開いたが、その先の言葉が浮かばないようで口をぱくぱくと開閉させた。 そんな彼女に、少し笑いが込み上げる。 だが、初対面にも等しい相手にそれは失礼だと思い、噴き出さないように堪えた。 まぁ、正直彼女とは初対面だと感じないのだが。 「綺麗な唄だな」 警戒心を解くように、成るべく表情を緩めながら言う。 緩めすぎると阿呆面になってしまうので、それに気を付けながら。 目の前の少女は強張っていた頬を緩めて、恥ずかしそうに笑った。 「あ、ありがとう」 仄かに染まった頬が、彼女の美しさを強調させる。 そんな彼女に見惚れ、気を逸らすように俺は眼を逸らした。 しまった、と思った時には既に遅い。 もう一度彼女に眼を戻せば、案の定彼女は悲しそうに俺を見つめていた。 暗くなった空気を振り切るように、俺は口を開く。 「名前は?」 言ってから、少し単語が足りなかったと思う。 “君の”を入れるべきだった、と。 青い瞳の少女は目を丸くして、「え?」と聞き返してきた。 「あー……君の名前は?」 もう一度問いかけ、やっと少女は理解したようだった。 明るく眼を輝かせ、安堵したように微笑んだ。 「わ、私は。・」 「俺は……」 「シリウス・ブラック」 俺が自身の名前を言う前に、彼女が俺の名を紡いだ。 でしょ?と彼女は首を傾げた。 口元に笑みを浮かべ。 「……知ってるのか」 「勿論。この学校で貴方を知らない人なんて居ないわ。グリフィンドールのポッター とブラックと聞いて、判らない人なんて……。もし知らない人が居たなら、その人は 少し愚鈍なのね」 苦笑しながら、彼女は言った。 そして、彼女のその言葉を最後に、俺達は沈黙した。 不意に、俺は空を見上げる。 満天の星々が、宝石のようにキラキラと輝いていた。 欠けた月が、俺達を見下ろしている。 そういえば、どこかの国では昔話で月の姫の物語があるらしい。 竹から生まれ、美しく成長する姫の話。 多くの男達から求婚されるが、姫は頑なにそれを拒んだと言う。 そして、とある月の十五日に、彼女は泣く泣く月へ帰って行った。 俺はに目を向ける。 もしかしたら、彼女は月の姫なのではないか、と馬鹿な考えが浮かんだ。 ただ、月に照らされるその姿は、まるで月自身に愛でられているようで……。 『 』 が再び唄い始めた。 しかし、今度のは鼻歌程度だった。 俺に遠慮しているのか、先程までの響きは無い。 だが、それでも彼女の歌は、とても澄んでいて綺麗だった。 「綺麗な唄だな」 二度目の台詞。 こんな事しか言えない自分が、酷くもどかしい。 しかしは、そんな俺の言葉に嬉しそうにはにかみながら「ありがとう」と呟いた。 透明な音色。 全てを包み込むような、優しい旋律。 思わず、全てを預けたくなる。 「あ……」 不意に、唄が止んだ。 どうしたんだ、と彼女に眼を向けると、は悲しそうに微笑んでいた。 「もう、寮に戻らなくちゃ……」 そう言って、彼女は俺に時計を見せる。 時刻は午前六時。 皆がそろそろ起き出す時間帯だ。 「 あの 」 もう少しこうして居たかった、と寂しく思う俺に、はおずおずと話しかけてきた。 そんなに怯えなくても、取って食ったりしないのに。 「も、もし“また”眠れなかったら、良かったらここに来て下さい。私、あの……… 待ってますのでっ」 そんな言葉を残して、青い瞳の少女……は走り去っていった。 夜中に抜け出す事が校則違反だという事を、彼女は果たして覚えているのだろうか。 慌てる彼女を思い浮かべ、思わず笑いが込み上げる。 夢の中と同じ歌を唄う少女、・。 彼女は言った。 『もし“また”眠れなかったら来て』と。 彼女は何故、俺が眠れなかった事を知っているのだろう。 全く、不思議な少女だ。 「さてと」 空を見上げる。 まだ太陽は昇っていないが、空の色は明らかに薄くなっていた。 夜明けだ。 息を思い切り吸い込めば、花の香りが鼻腔を擽る。 主にこれは…………薔薇の香りだ。 揺れる花々に背を向け、俺はその場を離れた。 思わずにやける口元を、手で隠しながら。 |